第3回定例会のご案内

平成28年度 第3回定例会開催のお知らせ
     五十猛歴史研究会
         会長 永見敏郎

残暑の候 会員の皆さまには益々ご繁栄のこととお喜び申し上げます。
平成28年度第3回定例会を下記のとおり開催いたしますのでご出席いただきますようご案内いたします。

      記

・とき 平成28年9月2日(金)
      午後7時30分より
・ところ 五十猛まちづくりセンター

・内容 ①柱状節理解説  講師:長尾英明
    ②神社巡り
    ③その他

五十猛の昔 ワニ漁

「五十猛の昔」聴き取り企画の第2弾。
「ワニ漁」の聞き取りを、吉岡秀明さん、荒木義彦さんの協力の素に実施しました。

まずは、吉岡さん所有の昔のビデオで、ワニ漁の概略をご覧ください。
なお、カビの生えたVHSテープからの吸出しですので、画像の質は最悪ですのでご了承ください。

聴き取り内容の書き起こしは、順次進めます。

日本人のふるさと ~島根を深く豊かに知る集い~

島根県から、案内をいただきました。
日本人のふるさと_表

日本人のふるさと_申込書

島根県の報道発表ページ

2013年は、出雲会場、益田会場へ、参加しました。

第3回定例会のご案内

                           平成27年9月3日

会員各位

五十猛歴史研究会
会長 永見 敏郎

初秋の候、会員の皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
この度、下記により「平成27年度第3回定例会」を開催いたしますのでご出席いただけますようご案内いたします。

・とき 平成27年9月30日(水)
午後7時30分より
・ところ 五十猛まちづくりセンター

・内容 ①「イタケルの神話」の概要
上垣外(かみがいとう)憲一氏 説その2
②秋の各種行事について
③その他

伊太祁曽神社訪問企画

五十猛歴史研究会

伊太祁曽神社訪問の旅 について(案)

昨年、ご案内した「伊太祁曽神社、伊勢神宮参拝ツアー」企画を見直し、神事の実施されない平成28年6月中旬に「伊太祁曽神社」訪問を計画しています。
伊太木曾神社宮司さまに、1時間程度、境内をご案内いただける予定です。
人数をとりまとめ 2016年1月の宿泊施設確保をもって確定としたいと考えています。
会員の皆さまのご参加をお待ちしております。 (最小催行人数:4人)

日 時:平成28年6月11日(土)8:00 ~ 12日(日)20:00

参加費:1万円程度

行程(予定)
6月11日 8:00 和田珍味本店発 → 山陰道・米子道・中国道・近畿道・阪南道→
15:35 明日香石舞台古墳→ 16:20橿原神宮 → 18:50 和歌山市 泊

6月12日 9:00 伊太祁曽神社→ 10:15竈山神社→ 10:35日前(ひのくま)神宮(じんぐう)・國懸(くにかがす)神宮(じんぐう)→
11:45伊達神社→ 12:02大屋都姫神社→ 12:25和歌山北IC→
阪和道・近畿道・中国道・米子道・山陰道 → 20:00和田珍味本店着

<オプション> タマ神社(貴志駅)  タマ駅長命日:6月22日
12日  7:12和歌山駅発 → 7:44 貴志駅着 370円
290円    8:27 貴志駅発 → 8:41 伊太木曾駅

費用: 1名 1万円程度
ガソリン代・高速道路代ほか 5000円/1人程度
宿泊費:5000円(ツイン)~7000(シングル)
人数により、利用車両の最適化を検討します。
4人程度 : 林自家用車 ~ 12人程度 : 自家用車+1BOXレンタカー

<参考> 8人乗り:ステップワゴン 12,400円
10人乗り:キャラバン   14,500円   ハイエース:18,000円   1泊2日

神々の足跡を訪ねて Ⅶ

神々の足跡を訪ねて Ⅶ の企画で、宣楊祭へ行ってきました。

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本来 鳥上山の山頂で行われる祭りですが、この日は残念ながら「雨」
鳥取県側の日南町での開催となりました。
島根県側の登山口 鳥上コースでの登山の予定。
前日にお弁当を頼んだ、斐乃上荘から電話連絡をいただいていたのですが登山口まで行ってみました。

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雨天時の予備コースに変更して、「鬼神神社」を訪問。
五十猛命の墓陵まで登ってみました。

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室内での祭りとなりましたが、こちらのほうが、近くで見物できて結果的には良かったかも。
行政が、この神事に深くかかわっておられることに感心しました。

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三井会員の希望で、嘉羅久利神社へ。

1か月前の思い付き企画でしたが、結果オーライの訪問となりました。

神々の足跡を訪ねて Ⅵ

五十猛歴史研究会 神々の足跡を訪ねて Ⅵ 

須佐・大呂神社とワニ料理

日程:6月7日(日) 9:00~15:50

9:00 和田珍味本店 出発
    (キララ多伎→ロマン街道→県道39号→県道325号)
10:15 大呂神社 

10:35 須佐神社 0853-84-0605
    (県道39号→国道54号→県道38号→吉田掛合IC→高野IC)
12:15~13:15 まんさく茶屋(昼食) 庄原市口和町竹地谷919-1  0824-87-2916  
     (高野IC→吉田掛合IC→R54→県道40号)
       状況によって「頓原 しめなわ館」立寄あり
 14:45 うぐいす茶屋
      (三瓶高原線)
14:50 和田珍味本店 着

参加費 : 1000円(定食注文の方別途:1000円)当日徴収

大呂神社:祭神 五十猛命
     神戸川の西側 山の中腹に鎮座 
大呂交流館(西須佐公民館)から100m 出雲市佐田町大呂472-2

須佐神社:祭神 須佐之男命 稲田比売命 足摩槌命 手摩槌命
     出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地
     出雲市佐多町須佐730

まんさく茶屋:昭和61年にオープンした「ワニ料理」の店
「おいしんぼ」で紹介された。
基本的に地元産のサメ(薄桃色)を使う。
入手できない時は、東北産(白色)さて、本日のワニの産地は?

企画・案内:太田博之

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治のこと

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る

21 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治のこと 〈完〉

三井淳

 出雲神話の白眉は、鳥上山中でのスサノオのヤマタノオロチ退治である。
 石見や出雲の浦々には竜蛇(りゅうじゃ)信仰というものがあり、上田常一(かみたつねいち)博士の「竜蛇さんのすべて」(昭和54年園山書店)によれば、大陸の季節風が吹きすさぶ旧暦の十月、いわゆる神在月の「お忌み荒れ」の頃になると、決まって南海産のセグロウミヘビが海岸に打ち上げられるという。浦々ではこれを竜神(りゅうじん)の示現と崇め、トグロ巻きの剥製(はくせい)にして神社に奉納し豊漁を祈願した。神在月の「神迎(かんむか)え」神事では、神籬(ひもろぎ)の先頭が竜蛇(竜神)である。
この竜蛇が、斐伊川をさかのぼって鳥上に達する過程で、ヤマタノオロチに化けたという言い伝えが、美保関町の笠浦(かさうら)にある(「竜蛇さんのすべて」一五三~一五四頁)。五十猛町大浦では、竜神は新羅からの使者とも伝えられている。してみれば、ヤマタノオロチなるは、新羅より海を渡り、そのまま斐伊川をさかのぼって行った、ということになる。
古事記では、ヤマタノオロチを「高志(こし)の八俣遠呂知」と表記している。高志は「越」で、北陸由来の種族をいい、鳥上に先住していちはやく製鉄業を起こし、その環境破壊のすさまじさが、ヤマタノオロチ説話に反映されたのだという専(もっぱ)らの説がある。学研漢字源には、「越」に「ぐっとはみ出て際立つ」の意味があり、、岩波古語辞典では、「ヲ(オ)ロチ」につき「激しい勢いのあるもの」とある。「ヤマタ」は「多い」の形容と考えると、「ヤマタノオロチ」の素直な解釈とは、「際立って勢いのある集団」となるのではないか。
新羅原流のウミヘビがヤマタノオロチの正体とあらば、それは、加羅にてヤマトを悉(ことごと)く打ち破った新羅の投影ということになるのではないか。
ヤマタノオロチ退治とは現実のはなしではなく、せめて新羅に一矢報いるべき創作された絵空事に過ぎなかったのかもしれない。「記・紀」の編纂者の立場としては、大敗北を素直に認める訳にはいかなかったか。

〈五十猛歴史研究会会員 みついあつし〉

スクナビコナのこと

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る

20 スクナビコナのこと

三井淳

 

オオクニヌシの神話に不可欠な存在はスクナビコナであり、日本書紀神代上八段一書(あるふみ)第六に、その登場の様子が描かれている。

オオクニヌシが出雲の稲作浜(いなさのはま)で食事をしている時、海上から人の声がした。その声の主(ぬし)は一人の小男(おぐな)であり、白蘞(かがみ)の皮で作った舟に乗り、鷦鷯(さざき)の羽を衣としていた。この「鷦鷯(さざき)」に注目したのが、前述の如く水野祐博士である(⑬参)。

 

同郡(隠岐の周吉郡)に、「従四位雀雄明神」というのがある。この「雀」はかの仁徳

天皇の諱、「大雀命(おおささきのみこと。日本書紀では大鷦鷯尊)」の「ササキ」、ま

た若雀命(武烈天皇)の「ササキ」であって、雀を「ススメ」というのも通音である。

それを参照にすれば、「雀雄明神」も「スサヲ」の音を写したものであると思われるの

である。

水野祐著 八雲書房「出雲神話」二四九頁

 

この「スサヲ」とは、⑥「スサノオの意味するもの」でも述べたように、水野論で言えば「素戔嗚」本来の訓み方であり7、新羅の伝説的王号「次次雄」を言うものとなる。⑫「再びスサノオとイソタケル」では、「スサノオ」「イソタケル」は一体のものであって、本体は「イソタケル」の方にあるというその所以(ゆえん)を説明した。ならば、「サザキ(ササキ)」を身にまとう「スクナビコナ」なるは「スサヲ」つまり「スサノオ」を意味し、「スサノオ」はすなわち「イソタケル」なのである。

日本書紀の「父スサノオ、子イソタケル」の関係は、「父」とオオクニヌシの「大」、「子」とスクナビコナの「少」に当てはめることが出来る。スクナビコナはオオクニヌシ国作りの重要なパートナーとして描かれる。イソタケルは植林の神であるが、同時に船の神、航海の神でもある。五十猛歴史研究会の調べでは、イソタケル祭祀は北は秋田宮城に及び、全国では三百を数える。

加羅より駆逐された人々が、海から列島各地の川をさかのぼり、不毛の山野を切り開いて行った、さような埋もれたる秘史が、イソタケル説話の背後にあったのではないか。

 

(五十猛歴史研究会 会員 みついあつし)

イソタケル説話の混入

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る

19 イソタケル説話の混入

三井淳

 五十猛町には、韓国から植物を招来し、更にはそれを植え回ったのもスサノオであるという伝承がある。国道9号線五十猛隧道(すいどう)上の山を薬師山(くすしやま)というが、スサノオが韓国から薬草を持ち込み、この山に植えたことにちなむという。五十猛町の内陸部である地頭所(じとうしょ)には、唐松ヶ曽根(からまつがそね)と呼ばれる一角がある。この曽根(山の斜面)中腹辺りに、スサノオが韓国から持ち帰った松の大木があったという。
第一回日本書紀イソタケルの条に立ち返れば分かることだが、韓国由来のあらゆる木種(こだね)を列島あまねく植え回ったのはイソタケルに尽きるのであり、スサノオは植林の実行者では決してない。つまり、イソタケルの事績が、いつの間にかスサノオに取って代られているのである。
このことは出雲部にも見られる。出雲市唐川(からかわ)町に「韓竈(からかま)神社」があり、スサノオが新羅に渡り、「植林法」と「からかま」等鉂器文化を日本に伝えたことにちなむという(島根日日新聞平成二十五年九月日曜版)。唐川の南ひと山越した遥堪(ようかん)の阿巣伎(あすき)神社には、同社として韓国伊太氐(からくにいたて)神社が祀られ、祭神をイソタケルノカミとする。すぐ近隣にイソタケルの影響が見られることから、韓竈神社のいわれも、そもそもイソタケルの属性に含まれるものなのだろう。イソタケルの名は、あまりに高名なスサノオの下に埋もれてしまったものか。
以上はイソタケルの説話が、父とされるスサノオにフィードバックした例だが、同様のことは、他の神にも起こっている。
続往還を行く⑦で、八千矛山(やちほこやま)大国主神社について触れたが、そのなかで、「神代のむかし大国主の神出雲よりこま(高句麗、あるいは百済)にわたり給ひ……〈中略〉……大国主もまたからくに(韓国)よりかへりつきたまひてこの村にしはしゐたまひけむ」という大國隆正(おおぐにたかまさ)の独白を記(しる)した。しかしオオクニヌシが朝鮮半島と往来したなどと、古事記にも日本書紀にも全く見ることが出来ない。これなども、イソタケル説話の影響が作用したものと思われる。

五十猛歴史研究会会員 みつい あつし