再びスサノオとイソタケル

島根日日新聞に連載されておりました 三井淳会員の「五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る」が掲載中止になりました。
五十猛歴史研究会において、テキスト起こし&校正の作業が可能となりましたので、こちらに掲載します。

なお、バックナンバーは、資料室>その他の資料でご覧ください。



五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る 12
再びスサノオとイソタケル

             三井 淳

 イソタケルはスサノオの子というより、寧ろ分身としての性質が強いということを、専ら平田篤胤の解析に依拠して述べてきたが、これとは全く別の観点から、スサノオとイソタケルの関係を捉えられないだろうか。
 スサノオは本来「スサオ」なのであって、それは新羅二代王南解(ナムヘ)の王号「次次雄(チャチャウン)」の一方言「ススウ、ススン」に通じるという説が江戸時代からあり、現在でも有力な解釈の一つである。「ススウ」の原義は「巫(ふ・かんなぎ)」であって、これは神をおろす、神の意志を伝える人のことである。つまり神に一番近い所にいるのだから一番偉い、従ってそれが人王なのだという、祭政一致の時代の、族長というものに対する素朴な尊敬心に根差している訳だ。
 「ススウ」はそれ自体が尊敬語なのであって、子とされるイソタケルが「伊西(イソ)の勇者、王」という現実の地名を負うているのに対し、父としては余りに不釣り合いである。しかしここで発想を全く変え、スサ(ノ)オをイソタケルの修飾語と考えてみてはどうか。「父スサ(ノ)オ、子イソタケル」の縦の関係は、本来は「スサ(ノ)オたるイソタケル」という一体のものではなかったか。その意味するところは、「巫たるイソタケル」「祭政を行う、王たるイソタケル」、極言すれば、「聖なるイソタケル」という言祝(ことほぎ)ではなかったのではないか。通常スサノオの事績とされる伝承は、全てこれイソタケルにまつわるものだったのであり、スサノオ伝説・神話の確立とは、イソタケルの忘却、あるいは冠(かんむり)修飾語であった「スサノオ」の遊離独行ということになろう。
 修飾語の独り歩きの例に、特殊訓みあるいは新造字の確立が挙げられよう。例えば、「飛ぶ鳥の明日香(とぶとりのあすか)」という慣用句から「飛鳥(あすか)」という訓みが生まれ、「日の下の草処(ひのもとのくさか)」から、人名としての「日下(くさか)の字が作られるなどなどである。
 残念ながら、「素戔嗚」と書いて「イソタケル」などという訓みは成立しなかったが、とにもかくにも、イソタケルという神は、人口(ひとくち)に膾炙(かいしゃ)するほど浸透しなかったのだろう。

(五十猛歴史研究会会員、みついあつし)

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