イソタケルノカミの成立

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る 14
イソタケルノカミの成立

            三井 淳

 ここで根源的な疑問に立ち返らなければならないだろう。イソタケルがはたして、六世紀新羅の大将軍異斯夫(イサマラ)がモデルであったとして、ならばなにゆえヤマトの勢力を尽く加羅の地から追っ払った張本人、本来憎んで余りある敵将を神として崇め奉らねばならなかったのかという、古代日本人の心理についてである。
古代人が、ある事象なり人物なりを神として祭りあげる心理というものは、必ずしも崇拝の念とは限らず、それこそ複雑怪奇であって、現代人には容易に理解出来るものではない。最大の謀反人である平将門を、平安朝は最終的に神田大明神に合祀しているが、これは将門斬首の後、やたら異常事続発して、人々は将門の祟(たた)りじゃと心底(しんてい)これを怖れた挙句の始末なのである。拭いされざる恐怖の記憶は、後世に様々な影響を及ぼすらしい。霊だ鬼だなどと、人は理解不能の様々事象に思い馳せては深からの恐ろしさに震えあがる。しかし、住々それは畏敬の念に転換さえする。「祝(いわ)う」と「忌(い)む」という音の近似するものの、意味が正反対となる言葉がある。ところがこの言葉は、元々同源であるそうな。
イワウとは祭るとか寿(ことほ)ぐの意であるが、イムは嫌い、にくむの意となる。しかしこれはともに凶事汚穢を避け、万事を慎むの意で、神に仕えることに用いられた言葉であったという。そして両語に共通の語幹「イ」は、「神聖・呪力のある状態」を言うものであった(以上は真弓常忠著「神道祭祀」26~27頁より。朱鷺書房刊)。こういわれると、この上なく憎い敵に対する感情が、なんだかはなはだ憚(はばか)られるものとして、いつの間にか仰ぎ見るようになる、そのような心理の逆転現象を、理解出来なくもない。
 敵を崇める事例は、実は近代でも見いだせる。日露戦争の最終局面、連合艦隊所属のの一水雷艇長は、敵艦撃沈すべくなんと願を李舜臣(イスンシン)に懸けるのである。李舜臣こそは、豊臣秀吉の水軍を悉(ことごと)く海の藻屑(もくず)と化した、李氏朝鮮最高の海将だった(以上司馬遼太郎「坂の上の雲」文芸春秋、より)。敵にせよ味方にせよ、人は本能的に強い者が好きなのである。

(五十猛歴史研究会会員 みついあつし)

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