任那と加羅

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る 15
 任那と加羅
              三井淳
                             
                              
 任那(みまな)とは、何を意味する言葉なのかというと、二通りの意味があったらしい。一つは南部加羅諸国の中心であった現在の金海(キメ)の別称であり、今一つが、加羅全体(新羅と百済に挟まれる一角)をも言う場合の任那である。
 「任那(みまな)訓み」の誕生の経緯については、鮎貝房之進の諸考(国書刊行会「日本書紀朝鮮地名攷」)が依然有力である。金海(キメ)は元来須那羅(スナラ)と呼ばれ、その外港を「主浦(ニムラ)」といった。古代の韓国語では「主」の訓は「ニム」となるが、倭人は「任(にん)」を以って「ニム」に当てた。「二」の音は不安定で、往々「ミ」となる。意識して発音してみればわかるが、「ニ」と「ミ」は口びるを半開きにするか、くっつけて発音するかの差異に過ぎず、交換しやすい音なのである。土地を表す語尾のラはヤやナに変化することがある。結果ニムラ→ミムラ→ミマナの転変となったという。主浦(ミマナ・任那)は須那羅等加羅諸国へ向かう倭人の初踏点として重要視され、やがて須那羅のみならず、加羅全体をも倭人は「ミマナ」と呼ぶようになった。(以上鮎貝説)
 三国志東夷伝弁韓条【弁の韓訓が、加羅(カラ)。】に、「国鉄を出だす。韓、濊、倭皆従いてこれを取る」とあり、任那の本称である加羅には、三世紀頃既に多くの倭人が住みついていて、それは専ら加羅鉄を渇望する余りの衝動であったことが分かる。がそれにもまして、加羅とヤマト(倭の統一政権という意味で)はほぼ共通の開国説話を有していることに注目すべきで、両国は源(みなもと)を等しくすると言っても過言ではない。
 三国遺事紀異第二「駕洛国記」に、初代王首露(スル)が、亀旨(クシ)に降臨したことを伝えている。駕洛(ガラク)は加羅のことで、ここでは金海(須那羅)を言う(朝日新聞「完訳三国遺事」192頁)。同じような話しが日本書紀にもあり、神代下第九段の一書(あるふみ)の第一では、皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、日向の高千穂の槵触峯(クジフルダケ)に降臨する。槵触の「クジ」は加羅の「亀旨(クシ)」と一致する(岩波文庫版日本書紀第一冊分三七二頁、補注二ノ十三)。

(五十猛歴史研究会会員 みついあつし)

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