「グロ」について

五十猛(いそたけるのかみ)の真相に迫る 17 

「グロ」について        三井淳

 小正月(こしょうがつ。一月十一日から一月十五日)を迎えると、各家庭の正月のしめなわ飾りやかど松などを持ち寄り、仮屋(かりや)を結び、そのなかで焼却する「どんと焼き」の行事は、日本の各地で現在でも行われているが、大田市五十猛町では、古くからこれを「グロ」と呼んでいる。田の畦(あぜ)を日本書紀では「クロ」と訓んでいて、それは専ら刈った雑草の堆積(たいせき)を指す言葉だった。徳島県では、刈ったススキを肥料にするため積み上げたものを「コエグロ」といっている(十月十六日NHK朝のニュース)。
 グロといいクロといい、これらは「まるい状」を表す擬態語の「グルリ」とか「クルリ」に関係があるらしい。ものをほうり投げて積み重ねると、自然に円状の敷地を基礎に嵩(かさ)が増していく。まずもって、方形とはならない。原初的構築物は大概円の上に成り立っている。「蔵」や「倉」を「クラ」といい、城郭の「郭」を「クルワ」というのも、「クルリ」とまわりを囲った、筒状のものに淵源した故だろう。
 我が国東洋史学の開祖である白鳥庫吉(しらとりくらきち。一八六五~一九四二)は、韓国語で城邑を表す「忽(コル)」は、日本語の「クルワ」と濃縁であるという。更には、この「クルワ」や「コル」は、モンゴル語で「家」をいう「ゲル」とも関連するともいう(以上岩波書店「白鳥庫吉全集第三巻227~232頁より」。
 大モンゴル帝国の故都「カラコルム」、現首都ウランバードルの旧称「クーロン」の「コル」や「クロ」も、「クルワ」や「コル」と同じ発想から生まれた言葉と思われる。有名なモスクワのクレムリン宮殿の「クレ」というのも同疇(どうちゅう)ではないか。

  「城寨(クレムリ)」というのは、堀をめぐらし、柵を植えこみ、そのなかに指揮者、
武装者、商人、農民、工人などが住み・・・・・・・・・・・・
司馬遼太郎「ロシアについて」
57~58頁文春文庫

 研究社の英語語源辞典を見ると、ローマの円形格闘場の「コロシアム」の「コロ」や、新聞や雑誌の囲み記事を請う英語の「コラム」の「コラ」、同じく馬の囲い柵の「コラル」の「コラ」も「まるくかこむ」が原義という。
 五十猛の仮屋「グロ」とは驚くべき国際語であった可能性が大なのであり、韓神(からかみ)が示現したこの石東の漁村には、悠久(ゆうきゅう)の世界遺産が今なお息づいていると言えよう。
五十猛歴史研究会会員 みついあつし

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