イソタケル説話の混入

五十猛神(いそたけるのかみ)の真相に迫る

19 イソタケル説話の混入

三井淳

 五十猛町には、韓国から植物を招来し、更にはそれを植え回ったのもスサノオであるという伝承がある。国道9号線五十猛隧道(すいどう)上の山を薬師山(くすしやま)というが、スサノオが韓国から薬草を持ち込み、この山に植えたことにちなむという。五十猛町の内陸部である地頭所(じとうしょ)には、唐松ヶ曽根(からまつがそね)と呼ばれる一角がある。この曽根(山の斜面)中腹辺りに、スサノオが韓国から持ち帰った松の大木があったという。
第一回日本書紀イソタケルの条に立ち返れば分かることだが、韓国由来のあらゆる木種(こだね)を列島あまねく植え回ったのはイソタケルに尽きるのであり、スサノオは植林の実行者では決してない。つまり、イソタケルの事績が、いつの間にかスサノオに取って代られているのである。
このことは出雲部にも見られる。出雲市唐川(からかわ)町に「韓竈(からかま)神社」があり、スサノオが新羅に渡り、「植林法」と「からかま」等鉂器文化を日本に伝えたことにちなむという(島根日日新聞平成二十五年九月日曜版)。唐川の南ひと山越した遥堪(ようかん)の阿巣伎(あすき)神社には、同社として韓国伊太氐(からくにいたて)神社が祀られ、祭神をイソタケルノカミとする。すぐ近隣にイソタケルの影響が見られることから、韓竈神社のいわれも、そもそもイソタケルの属性に含まれるものなのだろう。イソタケルの名は、あまりに高名なスサノオの下に埋もれてしまったものか。
以上はイソタケルの説話が、父とされるスサノオにフィードバックした例だが、同様のことは、他の神にも起こっている。
続往還を行く⑦で、八千矛山(やちほこやま)大国主神社について触れたが、そのなかで、「神代のむかし大国主の神出雲よりこま(高句麗、あるいは百済)にわたり給ひ……〈中略〉……大国主もまたからくに(韓国)よりかへりつきたまひてこの村にしはしゐたまひけむ」という大國隆正(おおぐにたかまさ)の独白を記(しる)した。しかしオオクニヌシが朝鮮半島と往来したなどと、古事記にも日本書紀にも全く見ることが出来ない。これなども、イソタケル説話の影響が作用したものと思われる。

五十猛歴史研究会会員 みつい あつし

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