五十猛のグロ

ダイドードリンコ提供 「日本の祭り」

<文化財の所在地> 大田市五十猛町大浦(いそたけちょう おうら)

<保護団体> 大浦グロ保存会  代表 林 肇

<公開期日> 毎年1月11日早朝から15日早朝まで(毎年固定日)

<世話人>
平成30年  柳町、上柳町、明神、大浦団地自治会
平成31年  上市、竪町、本町、朝日町自治会

<文化財の概要>
文化財の特色
年頭にグロと呼ばれる仮屋を設けて歳徳神(としとくじん)を迎え、一年の豊漁などを祈願します。
20メートルほどの竹の柱を中心とする大型で独特の仮屋です。

文化財の説明

五十猛のグロは、島根県大田市(おおだ)五十猛町(いそたけちょう)の大浦(おうら)地区に伝承される小正月の行事です。グロと呼ばれる円錐形の大きな仮屋を浜辺に作って歳徳神(としとくじん)を迎え、その年の豊漁や無病息災を祈願し、最後に正月飾りとともに仮屋を焼き払う行事で、1月11日から15日早朝までの5日間にわたって行われます。
グロが伝承されている大浦地区は、日本海に面した町域の西端にあり、記紀の時代以前に神々の上陸伝説を持つ日韓交流の拠点貿易港であり、中世以降の日本海航路(のちの北前船)の寄港地、石見銀山の銀および年貢米の積出港として海運の時代を支えてきたところです。近年は、浜田に次ぐ石見地域屈指の漁港として栄えてきました。
この行事は、大浦地区の漁師たちによって伝承されてきたもので、かつては船主・網元を中心に行われていましたが、現在は「大浦グロ保存会」を中心に伝承されています。
グロとは、行事の名称であるとともに、行事の際に竹を主な材料として作られる独特の小屋をさす呼称でもあります。その語源は定かではありませんが、当地では、グロとは草むらや山中に建つ簡素な小屋のこと、あるいは草が密集している様子を言い表す語として用いられ、こうした関連から仮屋を「グロ」と称するようになったといわれています。
海蛇(うみへび)を供えること、また、グロの形態から、蜷局(とぐろ:大蛇がからだを渦巻のようにぐるぐる巻いてわだかまること)を語源とする説もあります。
行事の準備や運営は、大浦地区の家々を第一組と第二組とに分け、この二つの組の漁業従事者が1年交替の当番制で行っています。第一組は、上市第一、上市第二、上市第三、竪町、本町、朝日の六つの自治会から、第二組は、柳町、上柳町、明神、日の出、大浦団地の五つの自治会で構成されています。当番に当たった組は、その年に5人の世話人を選出します。世話人は、グロの材料集めや組み立てなどの準備作業をはじめ、供物の用意や儀礼に際しての献饌など、数日間にわたる行事の中心的な役割を担います。
昭和の初期までは、大浦地区内でも二つ以上の組があり、それぞれに競い合って大きな仮屋を作り、グロを行っていたと伝えられています。少なくとも戦後しばらくの間は3か所でグロが行われていたとされていますが、昭和30年代に現在の前の浜のみとなり、それ以後、地区全体で一つのグロを作り、共用する形で行事が続けられています。
1月11日は、午前中(8時頃から約1時間半程度)にグロの組み立てが行われます。グロが作られる前の浜は韓神新羅神社の側にあり、当番の組の男性たちが総出で作業に取りかかります。グロの材料となる竹や笹の切り出し、グロの中で焚く薪の用意などは年末から始められ、漁に出られない日を選んで行われます。
グロの組み立ては、まず始めに長さ20メートルほどの根付きの真竹(今は孟宗竹)を二本束ねて立て、これを中心として青竹や角材で円錐形に仮屋の骨組みを作ります。中央に立つ青竹は、センボクサン(神木あるいは千木)と呼ばれ、神の依代と考えられています。これは先端部分の枝だけを残してそこに色とりどりの短冊を飾り、途中の二か所に御幣(ごへい)を付けた二本の竹を十字に組んだものです。
グロの大きさは、直径約10メートル、高さ約3メートルほどあり、屋根は莚を重ねて覆い、周囲を笹で囲んで壁とします。
グロの入り口には、松飾りを一対飾ります。内部には、天上から板を縄で吊って神棚を作り、地面には木材を円形に並べ、囲炉裏を三か所に設けます。
このようにしてグロが完成すると、餅つきが行われ、供物にする鏡餅が作られます。
次いで、世話人の男性たちが海からボバ(神馬藻:ホンダワラ)と呼ばれる海藻を採ってきて、トシトコサンと呼ばれる歳徳神を仮屋に迎える神迎えの儀礼を行います。世話人の代表がボバに付けた海水をグロの内部にまき散らした後、センボクサンの根本に掛け、神棚に御神酒や鏡餅などを供えて礼拝し、無病息災や豊漁を祈願します。その後、15日までの4日間、地区の人たちがグロに集まり、持参した餅や干し魚、スルメなどを囲炉裏の火で焼いて食べたり、酒を酌み交わしたりして、夜遅くまで歓談して過ごします。グロの火にあたり、その火で焼いたものを食べるとその年は病気にならないといわれています。このときに日ごろの操業に関する情報交換をしたり、地域のしきたりを子どもたちに教えたりするのも古くから行われてきたことです。かつては、地区の人たちがグロに泊まり込んで夜明かしし、子どもたちも行事の期間中はグロに泊まり込むことを許されていました。
グロには、大浦地区に住む者ならば自由に出入りができるが、前年に不幸のあった家の者と子どもを出産したばかりの女性はグロに入ってはならず、この禁忌は厳格に守られています。
14日夜には、神送りが行われます。このときは、特に大勢の人たちがグロに集まります。世話人が神棚に御神酒、鏡餅、塩、鯛やホウボウなどの赤い魚を供えると一同が礼拝し、無病息災や豊漁を再び祈願して、神を送ります。その後、鏡餅が神棚から下ろされ、囲炉裏で焼いてからグロに来ている人たちに配られます。
翌15日は、早朝から当番の組の男性たちが浜辺に集まり、グロの解体が行われます。外されたセンボクサンは縁起物として希望者に売られ、船の防舷材や雨樋などに使用されます。かつては競りで売買され、網元が高値を付けたといわれています。取り外された竹や笹など浜辺に高く積まれ、各家が持ち寄った松飾りや注連縄、古い御札とともに燃やされて、行事は終了します。

文化財指定

1995年(平成7年)11月20日 大田市指定無形民族文化財に指定
2005年(平成17年)2月21日 国の重要無形民族文化財に指定
2005年(平成17年)4月7日  大田市長よりに認定書伝授
*    国の重要無形民族文化財 平成29年9月1日現在 303件(島根県:7件)

起源・伝承

昔(古事記・日本書紀、出雲国風土記の記録に残されている頃:2世紀~5世紀)、神々(スサノヲ一行)がこの地域に上陸されたときに、住んでいる住居が貧弱で、しかも日陰の湿気の多い穴居での生活であったため、病気が流行り、漁も無く生活に苦しんでいるのを見られて、木や竹や草をつかって、陽の当たる丘の上に家を作ることを教えられました。そのため、人々は健康を取り戻し漁も多くなり生活も楽になりました。
これに感謝して、正月に歳徳神を祭る行事に併せて「グロ」の行事が始まったと伝えられています。
現存する文献としては、江戸時代以降のものに残されています。

参 考

湊地区でも、五十猛神社の境内で「神木(せんぼく)さん」と呼ばれる左義長(ドンド)行事が行われています。
「グロ」は、モンゴルの「ゲル」、中国の「パオ」とも形態が酷似しています。
五十猛付近は、1世紀頃には、出雲連合王権の勢力圏にあった。
朝鮮半島と山陰・北陸(石見・出雲・因幡・伯耆・越前・加賀・越中)を結ぶ古代の航海ルートが存在し、五十猛は、出雲への玄関口の一つであった。
2世紀~5世紀のいずれかの時期に新羅系の渡来集団(須佐之男命と五十猛命)が五十猛に上陸し拠点とした。
この集団は、航海技術はもちろん、タタラ製鉄(森林管理・植林)、鉄器を用いた灌漑・土木・治水・製材・建築・薬草栽培など多様な技術を持っていた。
五十猛を拠点とし、勢力を蓄えながら、斐伊川付近から上流へ進出し良質な砂鉄と豊かな森林を使ってタタラ製鉄と鉄器生産を行い、灌漑・治水工事を進めることによって、稲作生産力を高め出雲地域を統一していったと考えられます。

ボバ(神馬藻):学名はホンダワラでその若い芽をそう呼ぶ。ホンダワラという名は、
大国主命の乗っている米俵になぞらえたもので、他に神馬の尾に見立てた神馬藻ともよばれています。多数の浮きがついており大きく成長して一部は流れ藻として海流にのりながら北上するものもある。その間、稚魚の格好の隠れ家となり豊かな海の恵みを育てる役割もはたしています。太古の頃より親しまれてきた海藻で縁起物のひとつ。いまでも子宝を祈って結婚式などの祝いの汁ものの実と使われ、正月飾りにも欠かせないもの。汁の実にするほか佃煮にも加工して食べる地方色豊かな海藻。

タルチプ(月の家):グロは韓国の月の家(タルチプ)と同様な行事です。
藁、竹、松の枝を集めて「月の家(タルチプ)」をつくり、月が昇る頃、それに火をつけて炎が燃え上がると、月に向かってお辞儀をしながら願い事をすることで、願い事が叶い、豊作になると信じられています。
陰暦正月15日に「月の家燃やし(タルチプテウギ)」が行われます。
五十猛命(いそたけるのみこと)=木の神:須佐之男命の子神です。
須佐之男命(すさのおのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)の父神です。
須佐之男命と五十猛命は、日本・新羅間を往復した神(日本書紀)です。
大浦港は、天然の良港であり朝鮮半島と出雲を結ぶルートの拠点港の一つでした。
五十猛町には、神島(かみしま)、神上(しんじょ)、神別れ坂、薬師山(くすしやま)、逢浜(おうはま)など、須佐之男命・五十猛命の足跡を示す地名が残っています。

万葉の歌人 柿本人麻呂が、現地妻との別れを惜しんで詠んだ歌「つぬさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 辛(から)の崎なる 海石(いくり)にそ 深海松(ふかみる)生ふる 荒礒にそ 玉藻は生ふる・・・・(万葉集 巻二 135)」は、江津説、宅野説等がありますが、大岬灯台のある大崎ケ鼻(「辛の崎」(からのさき))とする大浦説も梅原猛氏により提起されています。(石碑あり)

文責 : 林 康二

五十猛小学校
2012年版_五十猛(いそたけ)のグロ説明書 印刷用PDF


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五十猛のグロ」への8件のフィードバック

  1. 林様
    初めまして。私、大田出身で今は横浜に在住しています櫻井頼朋(さくらいよりとも)と言います。塾の講師をしながら、算数の参考書を書いています。

     自分のブログ「よりともの算数}(http://blog.goo.ne.jp/skjbkt54)にこのページから写真と、記載内容を引用させていただきましたので、ご挨拶にとコメントした次第です。事後になり誠に申し訳ありません。

     私は中学校、高校と久利いたので、五十猛のグロについては恥ずかしいかな最近まで存じ上げませんでした。

     大変興味深いものがあります。自分のブログにも書きましたが、神の国島根をもっともっと勉強して知ろうと思いますので、これからよろしく願いいたします。

  2. すばらしい情報ですね。はじめまして僕は古代史オタクです。297年に新羅はイソ(伊西)国を滅ぼしますが、そこに置いた郡に率伊(ソチ)山という地名が出てきます。これはソシモリのことでしょう。イソタケルはそこから倭地にくるのですが、イソタケルという名前は伊西(イソ)武王(タケル)の意味でしょう。タルチプは釜山のが有名ですが清道郡(伊西国があった所)にもあるそうです。グロは火にかけられないタルチプなので、こちらの方が原型かも。古代は咸鏡道あたりの沃沮の航海民が南下して山陰まで来ていたと思います。沃沮海人と伊西国と石見がつながってくるように思いました。以上、簡単な感想で失礼致します。      江口拝

    • 江口様 ありがとうございます。管理人の林と申します。今後ともよろしくお願いいたします。

  3. 林様 おはようございます。こちらこそよろしくお願いいたします。グロの真ん中に立つセンボクサン、神木さんと思いますが、シをセと訛る例は筑紫の各羅島で生れた百済の武寧王がセマキシ(嶋君)と呼ばれています(日本書紀)。筑紫から石見・出雲にかけて、あるいは釜山などにかけての沿岸部の人たちの訛りかも、と愚考するのですが。

  4. 東京で大学講師をしているものです。グロのことは山陰出身の友人から教えられ大変興味を持ちました。ぜひとも実見したいのですが、外来者が中に入ることは可能なのでしょうか?もし可能ならば、どのような手続きをふめば、中に入って挨拶して、お餅を焼いて食べることができるのでしょうか?ぜひご教示いただきたく、ここに一筆啓上仕りました。

    • 村山様 ありがとうございます。
      外来者の制限は設けておりません。
      ただし、神事ですので、「世話人」の指示には従ってください。

       11日 8:00~10:00頃 「グロ」を建立するところ。 (千木を、人力で正立させる技)
       14日 19:00~21:00頃 神送り
      の時間帯は、非常に込み合います。また各メディアも詰めかけていますので、制限がかかると思われます。

      その他の時間帯については、保育園、小学校等の「グロ体験」の時間帯を除いては、比較的自由にご覧いただけると思われます。

      電話でのお問い合わせは、「五十猛まちづくりセンター TEL 0854-87-0026」までお願いします。

  5. ありがとうございます。
    祭礼の様子がわかる情報をありがとうございました。
    当日は教示くださったことを守って、正月行事を見せていただこうと思います。
    電話での問い合わせ先まで教えていただけて本当に助かります!
    ありがとうございました。

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